直島新美術館プレトーク第一弾
「個々の施設から美術館群へ:ベネッセアートサイト直島のこれまでとこれから」
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index
1. 「ベネッセアートサイト直島のこれまでとこれから」三木あき子
2. 「人間的なふれあいと環境との調和―現在と未来をつなぐベネッセアートサイト直島」逢坂恵理子
3. 「ベネッセアートサイト直島と安藤忠雄」倉方俊輔
4. 「発火点としての私」橋本麻里
5. ディスカッション―それぞれのトークを受けて
「ベネッセアートサイト直島と安藤忠雄」
倉方俊輔
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私は建築史、なかでも日本の近現代の建築史を専門としています。そして、日本では必ずしも研究が盛んであるとはいえない「建築家」にフォーカスして研究しています。本日は、全体のテーマが「ベネッセアートサイト直島のこれまでとこれから」ということで、ベネッセアートサイト直島の活動において重要な役割を果たしている安藤忠雄という建築家についてお話ししたいと思います。
安藤忠雄という人物像を象徴するのが「挑戦」という言葉でしょう。2017年に国立新美術館の開館10週年記念展として開かれた「安藤忠雄展」に付されたサブタイトルも「挑戦」でした。また、安藤さんは、「闘う建築家」と称されます。国立新美術館での展覧会では、安藤さん自身によるオーディオガイドが制作されました。自作を紹介する際には、「夏、暑くて、冬、寒いかもしれないが、がんばれ」と、「がんばれ」を連呼されていて、こういうところも安藤さんが「闘う建築家」と呼ばれる理由だと感じられます。
安藤忠雄さんは1941年に生まれ、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立しました。安藤さんの出世作が1976年の「住吉の長屋」と題された住宅です。長屋ですから、本来は壁を共有した連棟の住居なのですが、それぞれ所有者が違うので、その一角を切り取って新築された鉄筋コンクリート造の住宅です。中央部分が外部空間になっていて、雨の日は傘をさして通らないといけないというつくりです。住み手とも闘う安藤忠雄が、自身の建築家としての道を発見したのが、この「住吉の長屋」だと言えます。安藤さんのデビューの特徴として、住宅というプライヴェートな空間が始まりだということが挙げられます。
安藤さん自身、子どもの頃に長屋に住んでいました。何度も語られる印象的なエピソードがあります。ある日、大工が改修を行って、天窓が開けられると、今までうす暗かった長屋に光が落ちてきた。こんなことができる人はすごいと思って、関心を持ち、それが建築家という存在につながったという話です。安藤さんは、既存の環境をそのままに肯定するような建築家ではないのです。それに対して闘う姿勢が基本にあります。さきほどの「住吉の長屋」のまんなかが外部空間であるというのも、昔から存在する形式に闘いを挑んでいるのです。
左から:ベネッセハウス ミュージアム(写真:山本糾)、地中美術館(写真:藤塚光政)、ヴァレーギャラリー(撮影:宮脇慎太郎) 1992年のベネッセハウス ミュージアムは、安藤忠雄にとって最初の本格的な美術館建築です。公共建築としては1989年に完成した兵庫県立こどもの館があり、また、コンペティションには敗れますが、1990年、ストックホルムの現代美術館の案も設計しています。それでもベネッセハウス ミュージアムは、安藤さんをミュージアムデビューさせた美術館だと言えます。実は、1977年に安藤さんは「アートギャラリーコンプレックス」という計画を発表しています。実現化はされませんでしたが、地下空間にアートの空間をつくるという構想でした。安藤さんは、福武さんと出会う前からアートへの関心があったことがわかります。そして、安藤忠雄さんと福武總一郎さんの出会いが安藤忠雄の美術館の設計を現実化したのです。このことが、いろいろなものや人々を巻き込んでいった。ベネッセアートサイト直島のその後にとっても本当に決定的な出会いでした。安藤忠雄という建築家の側から見たときにも、その作風を練り上げ、仕事を拡大させていく上で、福武總一郎の存在はとても大きいのです。
美術館としてのベネッセハウス ミュージアムにおいては、当然に「アーティストとの闘い」もあったと思います。ベネッセハウス ミュージアムは、外に開かれ、展示空間も個性的な形をしていますから、アーティストも闘わざるを得なかったでしょう。また、「自然環境との闘い」という側面から言えば、安藤さんは確かに直島の自然を活かしていますが、全面的に自然に委ねているわけではありません。自然にも、「がんばれ」と言っているようなところがあります。直島の自然にはそれに応えるだけの生命力がある―そうした関係が直島における安藤建築の本質です。例えば、地中美術館の偉大な成果は、ここにいると地中だという気がしないことです。壁を建てると、その中にいる人はグランドレベルがわからなくなる。壁を建てると、その中にいる人は地表面がどこかわからなくなるという原理を利用した建築なのです。「住吉の長屋」も同様で、地下といわれればそう思えてしまうかもしれない。壁を建てることによってグランドレベルをキャンセルするというのは、安藤忠雄という建築家の最大の発見であると私はとらえています。
ベネッセアートサイト直島の偉業のひとつが「都会人である安藤忠雄を、自然の中に入り込ませた」ことです。安藤忠雄という建築家は、基本的に都会人なのではないでしょうか。都会人とは、自分にとって最も親しい環境が生のままの自然ではないということです。安藤さんの建築は、自然の中にありながら闘い続けています。直島の変化に富んだ自然は、安藤さんにそれまでと同じことはさせないし、違う闘いを挑んでくるところがあり、安藤さんもそれに応えることによって名作を継続させています。2022年のヴァレーギャラリーも周囲の環境をより顕在化させ、場所の独自性を建築によって成立させています。最初に申し上げた「挑戦し、闘い続ける建築家・安藤忠雄」というのは、通俗的な言葉にも聞こえます。しかし、建築家・安藤忠雄の中心思想につながっています。それを明らかにしてくれるのが、直島における安藤建築の質の高さなのです。
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倉方俊輔Shunsuke Kurakata
建築史家、大阪公立大学大学院工学研究科教授。日本近現代の建築史の研究と並行して、建築の価値を社会に広く伝える活動を行っている。著書に『京都 近現代建築ものがたり』、『神戸・大阪・京都レトロ建築さんぽ』ほか多数。建築公開イベント「東京建築祭」の実行委員長、「イケフェス大阪」や「京都モダン建築祭」の実行委員を務める。日本建築学会賞、日本建築学会教育賞ほか受賞。
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ベネッセアートサイト直島以前の時代に〈私〉個人の情熱がどのように当時の美術、文化へ影響を与えたか、特に戦前までの数寄者に注目してベネッセアートサイト直島の取り組みとの親和性ついてお話いただきました。