草間彌生「アートとは永遠の闘いであり、愛であり、生きることである」(後編)

「世界の草間」への快進撃

1989年というと、周知のように平成の始まりであるだけでなく、天安門事件に、ベルリンの壁崩壊、冷戦構造の終結などを通して世界や社会全体が大きく動いた年である。

美術界でも、1984年にニューヨーク近代美術館で、ウィリアム・ルービン企画で開催された「20世紀美術におけるプリミティヴィズム:『部族的』なるものと『モダン』なるものとの親縁性」展を経て、この年にポンピドゥーセンターで、ジャン=ユベール・マルタン企画による「大地の魔術師たち」展が開催されている。アフリカやアジアからのアーティストも参加し、また現代アートと仮面など民俗資料が並列された内容は、当時賛否両論あったが、アート界が欧米中心からそれ以外の地域や領域へと視線を向け、その後のアート界の動向に大きな影響力を持つことになった。

その後のグローバリズムと多文化主義の流れ、ポストモダニズムの議論のなかで、それまで周縁と捉えられていた地域や作家への視線が増加し、等閑視されていた日本の現代アーティストたちも徐々に国際シーンに出ていくようになる。

そうした日本のアーティストたちの新たな舞台となったのが、90年代に次々とオーストラリアのブリスベンや台北など各地で新たに発足・リニューアルした国際展である。それらは、草間にとっても、大規模な屋外彫刻やバルーン彫刻などの実験の場となっていった。

そして、彼女の国際的な評価は、1998年から1999年にかけてロサンゼルス・カウンティ美術館、ニューヨーク近代美術館等を巡回した回顧展「Love Forever:YAYOI KUSAMA 1958-1968」により決定的になったと言われる。

しかし、これらの企画が、草間を育てたアメリカ、日本で行われたのに対し、2000年には、没入型のインスタレーションを中心にした個展が、フランスのアートセンター、コンソーシアムから始まり、パリ日本文化会館、デンマーク、ウィーンなどを巡回することになる。あくまでも個人的な見解だが、欧州における草間のより幅広い受容は、この没入型展示企画の影響が大きかったように思う。当時、筆者はパリに住んでおり、アート界を越えて、広く一般の子供から大人までが草間作品に夢中になり、それまでとは明らかに違う受容の変化があったことを記憶している。

ここから、「世界の草間」の快進撃が本格化していき、その後の日本国内での数々の個展巡回やパリ、ロンドン、ニューヨークでの回顧展、中南米やアジア各国等々の主要美術館での企画がひっきりなしに続き、各地で入場者数記録を塗り替えていった。それは、コロナ禍に入っても止まることはなく、2021年にはニューヨーク植物園やベルリンのグロピウス・バウ、テルアビブの美術館などでも個展が開催され、同様の現象を起こしている。

21世紀に入ってからの新たな取り組みとしては、2004年の「クサマトリックス」展において、これまでの内的心象の描写から一転して、初めて幸福への願望を感じさせる少女像に着手。また、2004年―2009年には50枚の「愛はとこしえ」を、2009年以降は、集大成ともいうべき絵画シリーズ「わが永遠の魂」も手掛けている。

以前の作品群とは異なる、これらのシリーズに特徴的な明るい色彩や幸福感は「芸術の力、愛の力をもって、世界中に平和と愛の素晴らしさを届けたい*4」という思いを直接的に反映し、その継続した創作自体が、彼女の「生」そのものを体現するようだ。

*4. Vogue Japan 2017年2月21日Interview & Text: Yayoi Kojima

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ヴァレーギャラリー(写真:冨岡誠)

大いなる自然のなかで増殖消滅する「私」

2022年、ベネッセハウスは開館から30年を迎えた。この節目に際して、直島には、再び安藤忠雄が設計した小さな建築を含むヴァレーギャラリーが設けられ、そこに、草間のもうひとつの主要作品が設置された。

境界や聖域とされる谷間に沿うように建てられた半屋外建築と周囲の自然で構成される本ギャラリーでは、作品とともにエリア全体のランドスケープを体感してもらい、改めて自然の豊かさや共生、根源的な祈りの心や循環・再生などについて意識を促すことを意図している。安藤が「小さくとも結晶のような強度をもつ空間をつくろうと考えた」と言う、祠をイメージし、屋根のスリットや切り込みにより、内省的でありながら、半屋外に開かれ、光や風など自然エネルギーの動きを直接的に感じ取れる。

その屋内外に展開する《ナルシスの庭》は、草間彌生が1966年のヴェネツィア・ビエンナーレでジャルディーニ会場の芝生に大量のミラーボールを敷き詰め、世界的注目を集めることになった作品である。日本代表としての参加ではなく、自ら事務局に直接かけあって場所をもらい、ルーチョ・フォンタナにお金を出してもらい*5、フィレンツェの工場で調達したというプラスチック製のミラーボール1,500個をイタリアパビリオン外の芝生に並べ、自身は赤いレオタードでそのなかに横たわった。その際、ボール1個を1.5ドルで販売したが、すぐにイタリア当局からの警告で催しを中止、残りの大半は盗まれたという*6

そうしたゲリラ的なやり方だけでなく、商業主義への反発としてメディアに大きく注目されることになったが、今は、一回りサイズが大きくステンレス製となった約1,700個の球が、自然と拮抗することなく、山間の自然の変化や鑑賞者の姿を映し出しながら静かに揺れている。その様子は、単純なスペクタクル性を超えて、私たち一人一人がひとつの生命体として自然と一体化し、無限に拡がっていくような感覚を誘発する。

「命というのも、いずれは水玉によって輪廻転生し*7」、「私」は大いなる自然のなかで増殖し続けることで消滅、いつしか「私」の呪縛から解き放たれるのである。

かつて、あるインタビューで92歳頃まで頑張ると語っていた草間が93歳を迎えた2022年春、人類が再び分断や戦争の恐怖、疫病と戦うという歴史が逆行するかのような状況に直面しているなか、草間は何を思うのだろうか。

満開のツツジの花の下、《ナルシスの庭》の球の中に身を置いてみるとき、混沌とする世界で、全身全霊をかけて、救済と生命の尊さを祈り、芸術の力で世界中に平和と人間愛の美しさを届けることに挑み続ける孤高の芸術家の姿が、思い出されてならないのだ。

*5. 「草間彌生インタビュー クサマがクサマであるために」『美術手帖』1993年6月号P16
*6. 前掲書 谷川渥「増殖の幻魔」『美術手帖』1993年6月P666
*7. 「草間彌生インタビュー」(聞き手:齋藤環)『美術手帖』2004年3月号 P35

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©︎YAYOI KUSAMA Photo by Yusuke Miyazaki ※画像転載不可

三木あき子みき あきこ


キュレーター、ベネッセアートサイト直島インターナショナルアーティスティックディレクター。パリのパレ・ド・トーキョーのチーフ/シニア・キュレーターやヨコハマトリエンナーレのコ・ディレクターなどを歴任。90年代より、ロンドンのバービカンアートギャラリー、台北市立美術館、ソウル国立現代美術館、森美術館、横浜美術館、京都市京セラ美術館など国内外の主要美術館で、荒木経惟や村上隆、杉本博司ら日本を代表するアーティストの大規模な個展など多くの企画を手掛ける。

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