椹木野衣 特別連載①
「瀬戸内国際芸術祭2022が『開く』意味」

2022年4月14日、「瀬戸内国際芸術祭2022」が開幕した。これから11月6日のフィナーレに至るまで長い会期が始まる。すでに春会期を終え、夏会期もまもなくオープンを迎える。3年に及ぶコロナ禍の収束はまだ定かでないが、幸先よく春会期を観て歩く機会を持った。本連載では以後、夏会期、秋会期の行方を私の視点から各回で報告し、最終回で若干の所感を述べたい。

ともあれ、コロナ禍のなか、あらためて芸術祭を巡るという体験は、なによりもまずその体験そのもののかけがえのなさを、いやおうなく痛感させる。ひと頃は感染拡大防止のために「三密」の回避ということが盛んに言われ、全国の美術館までもが少なからず扉を閉じた頃のことを振り返ると、なによりもまず、美術館という場所が非常に密度の高い場所であったことへの想いをあらたにする。確かに近代において美術館とは市民の財産を公的に共有し、広く公開する場所として始まった。ゆえになによりもそのアクセシビリティが重んじられ、結果として美術館とは都市の産物となった。都市であるならおのずと施設としての占有率には限界があり、また日々の喧騒とも共存しなければならない。そうして美術館は外部の環境と内部の条件とをいかに切り離すか、ということがことのほか大事になった。空調をはじめとする温湿度の管理はその最たるものである。

近代の美術館というとただちにホワイトキューブという展示形式が思い浮かべられ、それが国際的な「様式」として世界に流布したのは、その形式が外部の具体的な環境と展示空間を分離するにあたって極めて能率がよかったからである。しかし逆にいえばホワイトキューブは外部に対して展示を閉ざし、ゆえに内部において多様な密を作り出す起源にもなっていた。感染症の世界的な大流行は、そのことをあかるみに出したと言ってよい。

ところが芸術祭においては、そこに内包される新しい形式の美術館も含め、施設や鑑賞の体験はつねに環境に対して開かれており、最初から密を回避する方向に開かれていた。確かに瀬戸内国際芸術祭では複数の離島を会場とするため、感染症対策にはひときわ気を遣うことになったものの、島そのものはホワイトキューブのように外部と内部を分離する形式ではなく、むしろ両者を折に触れ繋げたり離したりすることができる有機的な開放系=閉鎖系である。そして、そのような考え方は瀬戸内国際芸術祭ではコロナ・パンデミックの到来など想定することがなかった第一回(2010年)からごく自然に取り入れられていた。

けれども、瀬戸内国際芸術祭がその初回からこのような有機的なシステムを美術の体験をめぐる刷新/核心として全面に取り入れることができたのは、今年30年という節目を迎える直島のベネッセハウスでの着想と数々の試行錯誤がその間、十分に蓄積されていたからにほかならない。

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「スラグブッダ88-豊島の産業廃棄物処理後のスラグで作られた88体の仏」

春会期は、実はそうした原点へもう一度立ち返る機会となっている。そのうちもっともこのことを実感させたのが、直島にあらたに設けられたヴァレーギャラリーの誕生であった。もっとも、これは完全に「新設」された施設ではない――そしてそのこと自体が、ベネッセハウスに特有の美術の体験を喚起する源泉とも密接に繋がっている。なによりもまず、ヴァレーギャラリーはそれが置かれた場所の自然の地形や植栽のなかから、まるで湧き出たように場所を占めている。そして、そこで恒常的に設置されることになる小沢剛の「スラグブッダ88-豊島の産業廃棄物処理後のスラグで作られた88体の仏」(2006/2022年)そのものが、新作ではなく旧作である。というよりも、新作と旧作という時系列上の考えそのものを無意味にしてしまうのが、ベネッセハウスに固有の美術の体験であると言っていい。一体、新たな環境のなかで息を吹き返した作品のことを旧作と呼ぶのだろうか。それは今回の芸術祭でこの場を通じ出会うことができる草間彌生「ナルシスの庭」(1966/2022年)も同様だ。1966年のヴェネツィア・ビエンナーレで数日だけ顔を見せたその幻の展示が、それから半世紀を超え、紆余曲折を経て直島の地に「浮上」するのは、ある意味、再生とも呼ぶべき体験なのだ。そして再生ほど、新旧という考え方に遠いものはない。

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「ナルシスの庭」草間彌生 1966/2022年 ヴァレーギャラリー ©YAYOI KUSAMA

安藤忠雄の手で新たに設計されたどこか東屋のような建築についてもそれは同様だ。新たに設計・竣工したのは事実でも、地形との協働や作品との響きあいのなかで、それはもとからそこに存在したかたちが明確な輪郭を持ってなじみの顔を現した、とさえ感じられる。

そこでは、季節や天候、時刻によって刻々と移り変わる自然の環境が、そのまま内部に取り入れられ、作品の相貌までをも刻々と変化させる。このような変化と再生の渦中に体験を導くことができるのは、ほかでもない、ヴァレーギャラリーでは外部と内部がホワイトキューブのように切り離されておらず、どちらが外部でどちらが内部かもはっきりと決めることができない有機性で場そのものが横溢しているからにほかならない。

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ヴァレーギャラリー全景(撮影:森山雅智)

美術館はこれまで、日の光や自然の風、その結果としての生命体の来訪などを頑なに拒んできた。その結果として美術館が密になってしまったのだとしたら、ヴァレーギャラリーではその密を解き、空間への生命の来訪を進んで受け入れていると言っていい。そしてこのような考え方そのものが、いかに会期を通じ、会場の全域で「再生」されうるかが、コロナ禍で「瀬戸内国際芸術祭2022」が「開く」ことの最大の意味なのではないだろうか。

椹木 野衣さわらぎ のい


美術評論家。多摩美術大学教授、同芸術人類学研究所所員。1991年に最初の評論集『シミュレーショニズム』を刊行。『後美術論』で第25回吉田秀和賞、『震美術論』で平成29年度芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)を受賞。瀬戸内国際芸術祭ではアーティスト選考アドバイザリー委員を務める。公益財団法人 福武財団 「アートによる地域振興助成」助成選考委員長。

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