杉本博司 後編「芸術は人類に残された最後のインスピレーションの源である」

護王神社再建から建築へ、そして江之浦測候所へ

2001年頃からは、杉本自身もC型肝炎で自らの死と対峙することとなる。そうした中で着手するのが直島の護王神社再建である。

水軍高原氏が築いた直島城の裏門を守護する役目で、17世紀に現在地につくられたと伝えられる護王神社は、老朽化が進み、2000年頃には拝殿の倒壊にまで至っていた。それをアーティストが空き家など生活空間を作品化する「家プロジェクト」の枠組みのなかで改修することとなり、杉本に託された。

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施工中、大石が設置される前の護王神社(撮影:杉本博司)

杉本は、複合的に古神道の要素を取り入れ、神の宿る空間にふさわしい比率を念頭に、古墳のような地下が、地上の神社と光でつながるというコンセプトを設定。この、作品でありながら直島本村の歴史を背負った地元の人のための神社の再建とともに杉本も病を克服。これを契機に彼の建築活動も本格化していき、2008年には古い素材が最も新しいという考えに基づく新素材研究所を設立するに至っている。

続いて、杉本は神社の参道を、近隣の島に作ることを提案する。この、一人だけが泳げる100メートル1レーンの禊プールを神社の参道とする壮大な案は、実現には至らず、ベネッセアートサイト直島代表である福武總一郎の示唆もあり、自ら小田原に作ることになったのが、「小田原文化財団 江之浦測候所」である。そうして、禊プールの基本的アイディアは、江之浦の「夏至光遥拝100メートルギャラリー」に引き継がれ、見事に実現されることとなった。

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杉本が近隣の島に設置を提案した参道案シミュレーションイメージ
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江之浦測候所の夏至光遥拝100メートルギャラリー ©小田原文化財団

一方、直島では、2006年完成のベネッセハウス パークのホワイエ空間などに、桃山時代の長谷川等伯の名作を皇居の松の写真で再現した《松林図》や《光の教会》(設計:安藤忠雄)、《ワールド・トレード・センター》といった、モノクロームの「建築」シリーズなどを配して鎮魂の間をイメージした展示が行われる。そしてこれが、「杉本博司ギャラリー 時の回廊」のもとになっていった。

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杉本博司《光の教会》2005年© Hiroshi Sugimoto

ちなみに、このギャラリーの整備も、2018年パリのポンピドゥーセンターで開催された「安藤忠雄」展に直島の模型が展示されることとなり、その視察のためパリ入りした福武が、ちょうどヴェルサイユ宮殿での個展設営中の杉本を訪ね、展示作品である《硝子の茶室「聞鳥庵」》内にて二人だけの会談をもったことを契機とする。

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《硝子の茶室「聞鳥庵」》内での杉本博司と福武總一郎の会談の様子

またしても幾多の因縁により、茶室の終の棲家が直島となり、さらに多様な作品群を通して自然との対話や時間の体感を深化させることになるのである。

再生と滅びの美学・終焉・死のテーマへ

改めて、杉本の活動を振り返ると、過去のシリーズのリメイクや《五輪塔》などのヴァリエーションや、彼が「何かを学び取り、その滋養を吸収し、私自身のアートへと再転化する為に、必要上やむをえず集められた私の分身*1」と呼ぶ骨董の数々と作品を組み合わせた展示も含め、杉本の活動が大幅に多様化するのは2000年代以降のことである。

まるで、病を克服し、再生を謳歌するかのような精力的な活動に対して、この頃より一気に数が増えた大規模な個展では、滅びの美学や終焉、死がテーマとなっていく。

2014年に筆者がパリのパレ・ド・トーキョーで企画した個展「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない/ Lost Human Genetic Archive」は、総合芸術的に発展する杉本の活動を包括的に捉えようとした初の大規模な試みであり、彼の幅広い関心とタルボットや千利休、マルセル・デュシャンらへのオマージュも含み、杉本の個人体験史を色濃く反映。また、ホワイトキューブ空間を超えて、妄想から科学的・宗教的・芸術的関心を発展させる彼の創作の在りようとその多様な方向性を示唆するものとなった。

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パレ・ド・トーキョーでの展覧会展示風景

ピカソの《ゲルニカ》で知られる1937年のパリ万国博覧会にあわせて「近代美術宮殿」として開館した同建物は、国立近代美術館や国立高等映像音響芸術学校、国立写真センターといった視覚芸術に関する機関の拠点として使われる一方で、第二次世界大戦中にはユダヤ系市民から没収された資産の倉庫に使用されたりもしている。

度重なる改装の痕跡を各所に残すその建物に最初に足を踏み入れた杉本は、そこに滅びの美を感じ取り、即座に未来からみた人類の滅亡に関する33のシナリオを提案してきた。

その際、特に、彼が興味を示したのが、直前の建築改装で発見された「Salle 37」という映画室である。過去の改装で封鎖され、長年歴史の中に忘れさられていた「開かずの間」は、まるで時間が止まっていたかのように、建造時の雰囲気を奇跡的に残しており、杉本はこの部屋に大いに触発され、ここで実に10年ぶりに「劇場」シリーズを再開。それが「廃墟劇場」シリーズ誕生となった。

*1. 杉本博司『歴史の歴史』新素材研究所、2008年、p.5

起源に立ち戻ること・精神と技術を遺す表現とは

杉本の「末法感」は、直接的にはアメリカ同時多発テロの大惨事や東日本大震災の自然災害などを目の当りにしたことをきっかけとしているだろうが*2、2014年当時においては、虚像と実像の間を問い、時間の断片化、世界の模型化に取り組んできた杉本による、「本物より本物らしい世界の終焉の捏造」は、まだ荒唐無稽に捉えられる向きもあった。

しかし、皮肉にも近年のコロナ禍や深刻化する異常気象、ロシアのウクライナへの軍事侵攻などによって、彼の妄想はより現実味を帯びることになる。

世界が徐々に好転するような直線的な時間概念はもはや成立しないにもかかわらず、永遠の成長が人類の幸福を保証するという資本主義の神話が信仰され、成長のための破壊が進む、近代の限界点、いや彼岸に見る「進歩の末路」、そして環境にとって最も過酷な人類の存在、その本質的な貪欲さ、狂気、むなしさを前に、杉本を創作へと駆り立てるのは、改めてその起源に立ち戻って、何故このようになってしまったか、また、人類の記憶として、精神と技術を遺す表現は何かを問い、それを想い起こすための未来の遺跡、または、ある種の浄土のような装置を作ることだという。

一見、多様な方向に向いているように見える杉本の活動は、「芸術は人類に残された最後のインスピレーションの源」*3であることを信じて、壮大な時間感覚と宇宙規模の視点のもと、アーティストとしての自らの責務を全うするという意味において、趣味か芸術か、骨董か現代アートかといった議論を軽やかに超えて、すべからく繋がって一体化している。

ただ、太陽光が、「杉本博司ギャラリー 時の回廊」に設置されたプリズムを通して分光され、刻一刻と異なる色彩のスペクトラムを見せるように、杉本博司も様々な光の当て方、条件下で無限に異なる姿を見せるのである。

*2. 杉本と筆者は、2011年3月11日15時よりヨコハマトリエンナーレ2011の記者発表にともに出席予定だったが、その直前に東日本大震災が発生、会見は中止となる。また同様に筆者キュレーションによる京都市京セラ美術館での杉本の個展は、開幕直前にコロナ禍により延期の事態となった。
*3. 中村佑子監督による杉本のドキュメンタリー映画「はじまりの記憶」、2012年

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杉本博司ギャラリー 時の回廊 ラウンジに設置されたプリズム(撮影:森山雅智)
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Hiroshi Sugimoto, Glass Tea House "Mondrian", 2014 ©Hiroshi Sugimoto, The work originally created for LE STANZE DEL VETRO, Venice by Pentagram Stiftung

本稿は、筆者執筆の以下の原稿の一部を含む。
"The exhibition as machine for stopping time" Cahiers d'art, No 1, 2014
「世界の終わりの始まり」『杉本博司 ロスト・ヒューマン』展図録、東京都写真美術館、2016年
「「瑠璃の浄土」考―― 一切法は因縁生なり」『杉本博司 瑠璃の浄土』展図録、平凡社、2020年
「杉本博司と直島――「時の回廊」へ」『杉本博司ギャラリー 時の回廊ハンドブック』、2022年
参考文献:
杉本博司『苔のむすまで』新潮社、2005年
杉本博司『アートの起源』新潮社、2012年
杉本博司『江之浦奇譚』岩波書店、2020年
杉本博司『影老日記』新潮社、2022年

三木あき子みき あきこ


キュレーター、ベネッセアートサイト直島インターナショナルアーティスティックディレクター。パリのパレ・ド・トーキョーのチーフ/シニア・キュレーターやヨコハマトリエンナーレのコ・ディレクターなどを歴任。90年代より、ロンドンのバービカンアートギャラリー、台北市立美術館、ソウル国立現代美術館、森美術館、横浜美術館、京都市京セラ美術館など国内外の主要美術館で、荒木経惟や村上隆、杉本博司ら日本を代表するアーティストの大規模な個展など多くの企画を手掛ける。

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